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Channel: スポーツナビ+ タグ:三菱重工
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サッカーの星が輝く時

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なでしこが世界の頂点に立った日。その前日(感覚的にはほとんど当日)に、日本サッカー界の一つの星が天に召され、大きく輝く夜空の一つとなりました。森孝慈 さん。レッズの父という称号もありますが、やはり僕はあの日本がもっともW杯に近づいた日(1985年10月26日)、に日本代表というよりも当時は「森全日本」を文字通り率いた闘将のイメージの方が強烈です。三菱出身の森さんが、加藤久や木村(和)を中心に、都並や松木の読売の両サイドを抜擢。ヤンマーの西村や宮内などの堅実派を据えながらも、ジョージ与那城や戸塚などという異才までも召集し、文字通り当時の日本サッカー最高のメンバーを集めてアジアに臨んだあの「森全日本」。サッカー「日本リーグ」では絶対に見られなかった「つないで崩す」サッカー。読売の血を日本代表に初めて導入したその人が三菱の人だったというのも当時では考えられないぐらいの出来事でした。それもこれも「森さん」だからこそ実現できた快挙だったと思います。日本サッカー界で森さんの事を悪く言う人なんて多分一人もいないのじゃないでしょうか?まさにスポーツマンの鑑!まさにサッカーマン!フットボーラーそのものの人でした。というのも、僕は実はちょっとした思い出がありまして。。。僕のチームが合宿をしていた時、当時の監督が森さんの先輩でして(三菱時代)、「森、よかったらちょっと見てやってくれよ!」みたいなノリで、練習に来てグランドに立ってもらったことがありました。その時も僕達若造を見下す態度も全くなくて「初めまして!森です!」みたいな挨拶の後に「ちょっとこうやってみたらどうかな?」とか「こうやって考えたらどうだろう?」とか、その指導はかなり解り易く、そしてかなり高度でした。例えばFWには、「最後にはどこでボールを貰ってどこで(どの足で)シュートを撃つか、考えてボールを預けてみよう!」とか、DFには「追いかけるときも、最後にどこでボールを奪うか?を考えながら追いこんでいこう!」とか、そして同時に「そうやって追いこむDFの裏をどうやったら突けるか?をFWは考えよう!」とか・・・。考えるサッカーがそこにはありました。そして、偶然僕の前に立ちはだかってボールをキープした時の森さんの胸板の厚さ。背中の広さ。若者心に「これがあの森さんか・・・」と、感動に似たものを感じていました。ちなみに、その晩、大浴場で見た森さんの「胸板」も「太腿」も「尻」も、そして「○○○」も、何もかもがデカかったです(苦笑)。サッカーがとにかく好きで、サッカーの事を話すと止まらなかったとか。三菱の人も読売の人も日産の人もフジタの人もヤンマーの人も、誰もが愛してやまなかった森さん。貴方が天に召された日に「なでしこ」は世界を獲りました。僕はこれが偶然には思えません。「なでしこ」のみんな。僕達はこうやっていろんな人と、いろんな心で、いろんな所で繋がってるんだと思う。今度綺麗な星が出る夜に空を見上げてみないか?その輝きの一つ一つが、サッカーを愛した人々の僕達を見守る星なんだろう。サッカーをやってて良かったね。改めて大きな星の輝きに・・・「合掌」【サッカーショップ YOMIURA】を別館「読裏新聞」内に開店!!読裏クラブの趣味・嗜好で選ぶサッカーグッズをご紹介!是非一度お立ち寄りくださいませ!(^^;)

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